高知県のマグロ漁船員と結婚した外国人女性たちの出身地は、南アフリカやペルー、スペインなど様々だ。ほとんどが寄港地で出会い、恋愛に発展した。
マグロ漁の拠点の室戸市で船主や元船員らが教えてくれたカップルは、少なくとも10組以上はいる。駆け落ち同然で日本に来た女性もいれば、お互いの国を行き来する夫婦もいる。
すべてがハッピーエンドとは限らない。日本の生活になじめず、どちらかの浮気などで離婚になった場合も少なくない。
日本の遠洋マグロ漁業のピークは1960~70年代。多くの若者が一獲千金を狙って船に乗った。
命の危険と隣り合わせで「板子一枚下は地獄」とも呼ばれる漁師の仕事。若者たちの強いストレスを癒やしてくれるのは、約3カ月に1度、燃料補給やマグロの転載のために立ち寄る世界各地の港町だった。
船員は町で買い物を楽しみ、夜は、酒場やディスコ、カジノに繰り出した。
「酒場があり、女性もいる寄港地は刺激的だったよ」
千葉県船橋市でマグロ料理店を営む元船員の斎藤健次さん(73)は当時を振り返る。「船に乗って赤道を越えてみたい」と、76年に東京の雑誌記者を辞め、高知県のマグロ漁船員に転職した。後に船上暮らしを著作「まぐろ土佐船」に詳細に記した。
命の危険も伴うマグロ漁の仕事と、寄港地での恋。悲恋も悩みもあるけれど、漁船員たちは語ります。
船員は港町の夜を豪快に楽しん…
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