中国から帰国した人が保育園の見学を拒否されたり、医療従事者の子どもがいじめにあったり……。2020年2月、テレビや新聞が報じるニュースを見て、都内の大学4年生、本田歩さん(24)=福島県いわき市=の胸に、強い悲しみがわき上がってきた。
「あのときと同じだ」
よみがえった震災の記憶
1月13日、本田さんは半年間のオーストラリア留学を終えて帰国した。中国・武漢で肺炎が広がっているというニュースが報じられ始めてはいたが、そのころの日本にはまだ、留学前と変わらない日常があった。しかし、16日には国内で初の感染例が公表され、2月頭には、横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号で、新型コロナの集団感染が確認された。感染の脅威が迫るなかで、不安や恐怖が、社会に広がっていった。
朝日新聞には70年前から続く女性投稿欄「ひととき」があります。心に残る投稿者を訪ねてみると、さらに続く物語がありました。
それと同時に、偏見や差別も起き始めていた。そのとき本田さんによみがえったのは、自身が経験した東日本大震災後の出来事だった。
当時、中学2年生。いわき市の実家に津波の被害はなかったが、東京電力福島第一原発で水素爆発が起こり、ワゴン車いっぱいに荷物を積み、家族で横浜の親戚のもとへ自主避難した。新学期が始まる4月上旬に戻ったが、外での遊びは控えるなど、放射性物質を気にしながらの生活が続いた。
神経をすり減らす毎日に追い打ちをかけたのが、福島県ナンバーの車が県外で嫌がらせを受けたり、避難先で入居を拒まれたりといった出来事を伝えるニュースだった。自分自身が直接嫌がらせを受けたことはなかったが、県外で「どこから来たの?」と聞かれると、「東北から」とあいまいに答えるようになった。
ウイルスの広がりで、当時のような差別や偏見がくり返されてしまう――。未知の脅威を前に、誰かを攻撃するのではなく、一人一人が想像力と思いやりをもつ社会になってほしい。そんな思いですぐに原稿を書き、「朝日新聞 投書欄」と検索して出てきたアドレスに、メールを送信した。
この投稿が、「新型コロナ」という言葉がひとときで使われた最初の例になった。
しかし、本田さんの懸念は杞憂(きゆう)に終わらなかった。
4月に緊急事態宣言が出され、…
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