● 「中興の祖」でカリスマ経営者 鈴木修会長が退任 スズキは24日の会見で、鈴木修会長が6月の株主総会をもって代表取締役会長を退任し、相談役に退くと発表した。半世紀近くにわたってスズキの経営を引っ張ってきた鈴木修会長は、スズキを日本国内で「軽自動車の雄」に育て上げた。海外では、インドやハンガリーにいち早く進出し、独自のグローバル戦略で「世界のスズキ」に仕立て上げた。 スズキの「中興の祖」で、カリスマ経営者であるのは、言うまでもない。 その鈴木修会長がスズキの経営の第一線から退くのは、なぜか。 まず、昨年の2020年にスズキが創立100周年を迎えたこと、それとともにトヨタとの資本提携を果たしたこと、自らが90歳の卒寿を迎えたこと。これらが「大きな区切り」となったのは確実であろう。 ただし、昨年コロナ禍が自動車業界を直撃したことで、スズキは次の100年に向けた方向性について、新中期経営計画の見直しを進めてきた。 明けて2021年、1月30日に修会長が91歳となったことと、4月の新年度からの5カ年新中計発表のタイミングで、いよいよ長男の俊宏社長に全権を譲ることを決断したものとみられる。
● 四十数年にわたる スズキ経営の功績 鈴木修会長の四十数年にわたるスズキ経営の功績を挙げると、枚挙にいとまがない。 48歳で社長に就任、直後の1978年には軽の新型車アルトを投入、全国統一47万円という低価格設定が大きな話題を呼び、「あるときは…」の名言で、軽自動車市場に一石を投じた。 81年には当時の世界ビッグワンだった米GMと資本提携し、「GMが鯨ならスズキは蚊のようなもの。しかし、メダカはのみ込まれるが蚊は飛んでいける」と発言して、GMグループでの小型車領域を確立する位置づけを形成した。 83年には当時、どこも着目していなかったインドに進出し、現在の市場(シェア5割)を築いた。また、当時の東欧ハンガリー進出も同様のニッチ市場戦略で欧州戦略の基盤を作った。 国内では、軽自動車と小型車で独自のコストダウンによる「小さいクルマ」づくりを行い、業販店主体の販売網形成を展開。精力的に全国を回り、副代理店という販売網の各地域大会の酒席では業販店の家族経営の要となる奥様らに酒をついで回ることで知られ、絶大な「修ファン」があまたいることは有名だ。 こうして、スズキは、「オレは可美村(スズキの本社は当時、静岡県浜名郡可美村で、その後浜松市に合併された)の中小企業のおやじ」が口癖だった。「庶民派カリスマ」の鈴木修流経営で、社長就任時、売り上げ1700億円だった企業を世界的な3兆円企業に成長させたのである。 ● 鈴木家に婿入りして スズキと運命共同体に 筆者は、鈴木修会長とは四十年来の付き合いがある。この間、何度もインタビューしてきたし、浜松や東京の酒席では、さまざまな「本音」も聞いてきた。 庶民派だけに、東京では一般の会社員が行くような居酒屋を定席としていた。そこでは、スズキの創業者である鈴木家に銀行マンから婿入りした経緯やスズキに入社してからの苦労話などを聞いた。 スズキの将来について「国内ではトヨタが一番だが、何としても、何かで(スズキを)一番にする」との決意を胸に秘め、「現場主義を徹底した行動力は、誰にも負けずにやってきた」と語っていたのを思い起こす。
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